グノーシス主義とスターピープルの類似性とグノーシス主義的占星術の捉え

雑記

ユング自伝を読んでるんですが、とりあえず読みにくい。

この本でユングが、河合隼雄さんのような真面目な?心理療法家ではなく占星術や錬金術に興味を持ったオカルティストだということを初めて知りました。

ユングの本が読みにくいので先に秋山さと子さんの「ユングとオカルト」を読んだら、ユングが興味を持った異端の宗教であるグノーシス主義がやたらと面白い。

グノーシス主義は、松村先生が言う自分の星に帰るというスターピープル的世界観で心を打たれるものがあるのです。

というわけで、そのヘンをまとめてみます。

無知な創造主デーミウールゴスからの脱出

グノーシス主義の特徴はなんといっても、この世界は楽園なんかではなく、無知な創造主デーミウールゴスが支配しているという点でしょう。

造物主であるデーミウールゴスが無知というのは、自分より大きな存在である父と母を忘れて、この世を支配しているのは俺だと思っているからです。

占星術で言えば、トランスサタニアンを忘れた土星のような存在でしょうか。

キリスト教のように神は全知全能であって、救済を求める対象ではないのです。

よってグノーシス主義では、この世界からの脱出に主眼が置かれます。

グノーシス主義ヴァレンティノス派の創造神話

それではまず、シリア・エジプト型と呼ばれるグノーシス主義のヴァレンティノス派の創世神話を見ていきましょう。

深淵と呼ばれる父と四つのもの

目に見えず、名も持たない高みに以前より今に続いて存在している全きアイオーンがあった。

彼は「始源の前のもの」「原父」または「深淵」と呼ばれ、彼と共に「思考」「恩寵」「沈黙」があった。

最初の1者である「深淵」は「沈黙」の胎の内に種子を置き「理性(ヌース)」を生んだ。

ヌースは父である「深淵」と似ていて、彼のみが父の偉大さを把握できた。

ヌースとともに「真理(アレーティア)」が生まれ、こうして「四つのもの(テトラクテュス)」である「深淵(男)」「沈黙(女)」と「理性(男)」「真理(女)」があった。

三十柱のアイオーンたちからなるプレーローマの完成

独り子である「ヌース(理性)」は、伴侶である「真理」と共に「言葉」と「命」を生み出し、「言葉」と「命」はさらに「人間」と「教会」を生み出す。

ここまでが根源的な「八つのもの(オグアドス)」。

「言葉」と「命」はさらに十柱のアイオーンたちを、「人間」と「教会」は十二柱のアイオーンたちを流出した。

こうして全部で三十柱のアイオーンたちからなるプレーローマ(充満)が形成され、この最後の流出により生み出されたものが「知識(女)」すなわちソフィアである。

ソフィアの分裂

プレーローマで深淵を理解できるのは独り子のヌースだけであるが、ソフィアも父の偉大さを知りたいと「意図」し、「情念」にとりつかれた。

それはプレーローマ界の秩序を管理していた「境界」によって阻まれソフィアは我に返るが、「意図」と「情念」はソフィアから切り離されプレーローマの外に投げ出される。

こうしてソフィア分裂し、上なるソフィアは下なるソフィアを見て「恐れ」「悲しみ」「困窮」を感じた。

このようなことがないように「クリストス」と「聖霊」という新たなアイオーンを流出して、父が把握しがたい者であることを教え、プレーローマは完全な休息状態に入る。

そして統一の果実として、また下なるソフィアあるいはアカモートと呼ばれる存在を救うため、さらにもう1つのアイオーン「イエス」が流出した。

心魂的なものと物質の父であるデーミウールゴス

恐れ、悲しみ、困窮、そして立ち返りまたは懇願の中にいる下なるソフィアは「イエス」により見い出され、心魂的なものと物質の父であるデーミウールゴスを生じた。

デーミウールゴスは7つの天を創造し、その上に住んだので「7つのもの(ヘプドマス)」と呼ばれ、彼の上に住む下なるソフィア(霊)は「八つのもの(オグドアス)」と呼ばれた。

物質的・心魂的なすべての父であるデーミウールゴスはソフィアに導かれていることも知らず、彼女がこっそりと彼女の計画をしのばせることも知らなかった。

デーミウールゴスは物質から泥的人間を造り、これに心魂を吹き込んだ。

下なるソフィアは、デーミウールゴスが知らないうちに、天使たちを眺めて孕んだ「霊的胎児」を人間の中に据えつけた。こうして「物質」「心魂」「霊」によって構成された最初の人間が誕生した。

※以上が神話ですかね。
参考は秋山さんの本と、フランボワイヤン・ワールドのグノーシス主義が描く終末ヴァレンティノス派プトレマイオスの教説のホムペより、簡素化、意訳しました。

霊を知らない無知なるデーミウールゴス

ここからは神話じゃないですよ。

デーミウールゴスは、下なるソフィアである恐れや悲しみ、困窮から生まれていて、そのようなものからこの世の魂魄や物質を作っているので、この世界が完璧じゃないことは確かですね。

そしてデーミウールゴスは無知であって、自分の母(霊であるソフィア)を含めて自分の上にあるものを知らず、至高神だと思っているのです。

デーミウールゴスが「7つのもの(ヘプドマス)」、ソフィアが「八つのもの(オグドアス)」と呼ばれるのも、タロットの彷徨える戦士である7の戦車と、この世の価値基準を決める8の審判のようで共通点がありますね。

7は北斗七星やプレアデスでもいいですが。

グノーシスはギリシア語で知識を意味し、救済に必要な手段は無知なるデーミウールゴスを打ち破る正しい知識になるのでしょう。

グノーシス主義者には正しい知識を得るために啓示があるそうで、それは私が思うに仕事の失敗や挫折、この世への失望などではないでしょうか。

霊的世界の案内者をリリスとするならば、そのリリスは物質社会に貢献する気がまったくないですからね。

グノーシス主義的占星術の捉え方

グノーシス主義ではこの世は牢獄みたいなものなので、占星術の解釈も変わってきます。

各惑星は、この世を脱出しようとする霊的人間を阻む障害と捉えるのです。

ーーーー引用開始ーーーーーー

グノーシス主義に特有な、ギリシア的な調和のとれた宇宙の秩序という概念を逆転させた宇宙観が生まれる。

人間の生活の場は、幾層もの天に囲まれた土牢のようなものであり、人がそこから脱出しようとすると、それぞれの天球を支配していて、人間と隠された神との間を隔てている星の神々が邪魔をする。

この天球のイメージには、普通はバビロニアの占星術による観念が使われている。 しかしここでも人間に様々な幸運と才能を授けるという占星術の概念が逆転して用いられ、七層の天球を支配するそれぞれの惑星は、そのまま人間の魂の脱出を妨害する看視人となり、その外にはさらに第八の恒星界があるという。

しかし、宗派によっては、これらの天球は黄道帯のイメージによって12に分けられるものもあり、またバシレイデスのように、365の天球によって、この地球は囲まれているとするものもあった。

そしていずれにしろ、これらの星の神々は、人間の魂にとっては、否定的で邪悪な存在と考えられていた。

この看視人たちは、しばしば旧約聖書による神の名前で呼ばれていたが、ここでも、ユダヤ教の唯一の至高神である全能の神の概念がくつがえされていて、その神は真の神ではなく、神性は持つが下級な霊的存在と考えられている。

彼らによる支配が、いわゆるヘイマルメネーと呼ばれる星の強制力である。

占星術による運命決定論が見られ、人間はこの運命的な星の強制力から逃れることができずに、様々な苦労を重ねる。

彼らの主神こそ、この宇宙を創造した者たちであり、その神、または悪霊は、プラトンの「ティマイオス」に描かれているこの世界の製作者、デーミウールゴスの名でよばれている。

そして、デーミウールゴスをはじめ、各天球の看視人たちこそ、死後の人間の魂が、その故郷である欠けたもものない充満の場、プレーローマに戻ることを妨げるのである。

人間は、これらの下級の霊が作った仮の衣である肉体だけしかないいわゆる肉体人間(サルキコイ)、ものごとを感じとる心はあるが星の影響下で苦しむ心魂人間(プシューキコイ)、そして、この肉体と心魂の中に閉じ込められて脱出を求める神性を持った霊的人間(プネウマテイコイ)の三種に分けられる。

この天界を構成する大宇宙では、人間そのものが幾層もの天球によって閉じ込められて苦しんでいる。

そして、その人間の内的世界である小宇宙では、幾層もの心魂という衣の中に真の魂である霊が埋没している。

こうして人間が本来持っている神性の断片は、この宇宙の毒に酔わされ、肉体の快楽と、心魂の迷いの中で、麻痺し、眠り込んでいて、自己の本質を自覚しない。

グノーシスの知恵は、眠れる自己の本質の、神性に対する覚醒と解放の呼びかけなのである

ーーーー引用終わりーーーーーー

霊、または恒星意識、メンタル体、26000年意識であるソフィアの世界に辿り着くのを阻むのが各惑星です。

月意識だと28日で、土星意識だと29年、自分の一瞬の快楽を考えるなら貯金などせず散財しますが、土星意識が発達していると仕事のプランを考えて資格をとったりそのために貯金したりする。

247年意識の冥王星が発達すると、魂魄だけじゃなく、霊まで、自分の死後の地球の環境などにも想いをはせることになるのでソフィアにつながる可能性が出てくる。

各惑星の看視人、デーミウールゴスを突破するには、意識時間軸の長さの獲得と、その惑星を使い倒すことですか。

金星だったら人間関係、恋愛をやってやってやりまくって、どうでもよくなる。

諦めるは明らかに極めるなので、誰とでも恋愛できるし誰とでも人間関係が構築できる状態。

そうなれば金星のデーミウールゴス突破か。

グノーシス主義的占星術では、惑星の軌道・惑星意識さらに全惑星意識獲得に主眼を置くことになるでしょう。

グノーシス主義マンダ教の異邦のもの(エーリアン)とスターピープル

マンダ教という宗教もグノーシス主義に分類されます。

その特徴的な表現が「異邦のもの(エーリアン)」という考え方で、自分の星に帰りたいと願うスターピープルと同じ表現だと思います。

ーーーー引用開始ーーーーーー

マンダ教の文献はほとんど「光の諸世界より来た第一人者の異邦の<命>、一切のわざの上に立つ至高のものの名において」という一文から始まる。

つまり、あらゆる創造のわざを超えた、この世にとって異質な何者かの存在から、すべてを説きあかされるのである。

それは、他のグノーシス的文献では「異邦の神」「異邦のもの」「他者」「知られざる者」「名を持たぬ者」「隠れたるもの」「知られざる父」などと呼ばれるものであり、新プラトン主義では「絶対的超越者」として知られるものと近い。

異邦のものは、本来ここには属さない、他の場所からやってきて、この世のものからみれば、異質で、見慣れず、不可解な存在である。

しかしまた、そのものにとっては、この世界が同様に不可解であり、故郷から離れた異国であろう。

そこで彼はよそ者として、庇護も受けられず、理解されず、また自分が理解することもない。

危険に満ちた異国の地で、その地の風習を知らないよそ者は、孤独のままで迷いさすらう。

もし、彼にとっては異国であるこの世界の風習に馴染んでしまえば、自分がよそ者であることも忘れられるが、今度は自分の本質は忘れた自己疎外の問題に投げ込まれる。

そしてこれこそよそ者の悲劇の頂点なのである。

彼にとって自らの本来の在り方への復帰の第一歩は、故郷への郷愁が目覚めるところから始まる。

自分の異邦性を想起し、流離の地を異国として認識することであり、そこから失われた故郷に戻ろうとする彼の苦難の道が始まるのである。

ーーーー引用終わりーーーーーー

ただただこの異邦のものという思想と、自分が何となくこの世に馴染んでいないという小さい頃からの気持ち、現在の星へ帰るんだという想いが、この秋山さんの文書によく表現されていると思ったので引用しました。

イラン型のグノーシス主義の「真珠の歌」

イラン型のグノーシス主義に「真珠の歌」という神話があります。

これは外典「使徒トマスの行伝」の中にあるもので、正確には「インドの地での使徒ユダ・トマス」の歌と題されています。

グノーシス文献では、聖トマスというのはキリストの双子の兄弟となるそうです。

キリストが現在の物質的地球、太陽信仰的な地球の代表者ならば、聖トマスは星信仰的、多神教的な代表者と考えてもよさそうです。

キリストが表に廻ってトマスは闇に、そしてこの「真珠の歌」というのがまたまた心に刺さる綺麗な歌なのです。

ーーーー引用開始ーーーーーー

 私がまだ幼子で父の家に住んでいた時に、両親が旅支度をさせて、エジプトに出かけて大海の中で蛇に巻かれて沈んでいる「一個の真珠」を持ち帰るように命令した。

彼らは光り輝く衣服と、深紅の上着を脱がせて、命令を忘れないようにわが魂に書き込み「使命を果たして帰る時には、光り輝く衣服と、その上に重ねる上着をまとうことができるだろう。そしてお前の兄弟、われらの第2の位の者と共に、我らの王国において世嗣となるであろう」と告げた。

そこで私は東方を出発して、途中で護衛と別れ、エジプトまで行った。

そこで蛇の住処のすぐ近くに宿をとって、真珠を奪いとるために、蛇がまどろむのを待った。

私は真珠を得るためによそから来たことを悟られまいとして、彼らの衣服を身にまとったが、なんらかの理由で彼らは私が同国人でないことに気づき、「飲食」を調合し、彼らの食物を与えた。

私は真珠をとることを忘れ、王子であったことを忘れ、彼らの王に仕えるようになった。

そして彼らの食物の重さのために、深い眠りに陥った。

やがて両親は、これらのことが私に起こった事に気づき、嘆き悲しみ、私に次のような手紙を書き、諸侯を集めて署名を求めた。

「立て、汝の眠りから醒めよ。我らの手紙の言葉に耳を傾けよ。汝は王子たることを想起せよ。自らの奴隷のさまを見よ、己が誰に仕えるかを見よ。真珠を思い起こせ、汝がそのためにエジプトに遣わされたかの真珠を…」

この王が自らの右手で封印した一通の手紙、それは使者のようで、鷲の姿で立ち上がり、私のそばに降り立った。

手紙を読むと、それは私の魂に書き込まれている言葉と同じで、私は自分が王子であり、自由の身として生まれ、魂がその本来の姿を求めていることを思い起こした。

そこで私は蛇に向かって、わが父の名、次の位のもの、わが母なる東方の女王の名を唱え、その魔力で蛇を眠らせて真珠を奪った。

私を覚醒させたあの手紙が、帰路の私を導き、その光は輝き、その声は私を励まし、その愛によって私を引いていった。

両親はかつて私が脱いだ光り輝く衣服と上着を届けさせた。

それは突然私と同じになり、私自身の鏡に映る像となるように思われた。その全体を私自身の中に見、私自身の全体をその中に見た。

すなわち私たちは分離において二つであったが、いまや形の同一性において再び一つであった。

それは上方から降りつつ歌の調べをささやいた。

「私はあの方の行為の中で働いていたもの。私がわが父の家で育てられたのもあの方のため。そして私は、私の形があの方の業に応じて成長するのを自ら見てきた」

衣服は王者のごとく動き、私の上にそれ自身のことごとくを注ぎかけた。そこで私は身を伸ばし、それを受け入れ、その色調の美しさを持って己を飾った。

私はそれを着て父の輝きを拝した。

私は父の命令を果たし、父もまた自らの約束を果たした。

ーーーー引用終わりーーーーーー

エーテル体、アストラル体、メンタル体とかの分類の理解があって、スターピープル感をお持ちの方だと沁みるものがあると思います。

解説すると象徴を物質界、つまりゴミにまで貶めることになるし、味わいがなくなると思いますので。