何ものにも振り回されない自由な心を手に入れるマインドフルネスとグルジェフの自己想起

11の力

落合陽一さんと宮台真司さんの対談「次の時代をどう生きる」というのをYouTubeで見ました。

落合氏が気を使ってか、いや宮台氏がすごいのか以下はほぼ宮台氏が言った言葉。

てかたぶん会話の内容で宮台氏が会話の主導権を握り、抽象度を上げ、その具体例を落合さんが話す形になったからだと思う。

ーーーー宮台氏語録ーーーーーー

平成のいくらかぐらいから街中で目が合わなくなった。

目が会うと話しかける、これは俺から行くんじゃなくて、私は自他の区別がない方だから、その目に吸い寄せられる、一種の変性意識と言っていいかもしれないけど、そこで新しい化学反応、新規の発見があったりする。

でも現代社会は目が合わない。

ケータイに視線が集中し、街中で小学生に声かけも禁止、隣のマンションの住人も知らないのが当たり前。

ネットでは自分の興味があるものしか検索しなく、それ以外は排除して見えない。

ほかと出会う機会がない。

アニミズムは他人に見られるということ。神様に見られる、柳の木に見られる、壁に見られて壁と話す。

いいねボタンは、クズ化を促進する。君は今のままでいいね、というボタンであって、スマホに私たちは見られるという感覚はない。

偶発性のない社会。ネットで調べてgoogleマップで目的地に辿りつけば、みな均一化する。

偶発性を否定する、目を合わせない人類は、AIに置き換えられる。

現代の若者は、コスパが悪い、非合理、無駄なものと言って、恋愛関係から遠ざかる、それは大学生の初体験率を見ても明らか。

そしてほかをネットで攻撃し排除する程度の低い快楽しかしらない者は哀れだ。

「ここから私の感想:哀れか。人間の身体性、小宇宙の可能性を知ってる人の言葉だなと思う。

ネットには細切れの断片しかなく、複雑系の成分はない。

複雑系、裏と表、陰陽を自由に出し入れできる能力があると思っている俺氏は強い。というかこれを他人に実践すると、俺は頭がおかしい人と思われるのだが。

むつう整体の開業を断念したのも、むつう整体がめちゃくちゃ効果があるのに、ボランティアベースに寄り過ぎていると思ったのが1つの原因。

人を癒したいと本気で思って日々技術を磨いている人、病院の薬なんかより何百万倍効果があると思うむつう整体の開業者が、まったく稼げてない雰囲気があるのはいい事ではない。

1回の施術の上限が4000円は安すぎるし、遠隔治療も無料でやるから稼げるわけないよ。

だからそのシステムに文句を言って、開業を断念した。

むつう整体を本当に好きな開業者のことを、むつう整体本部がもうちょっと考えた方がいいと思った。

今の吉本興業と同じ問題な気がする。まあむつう整体本部は、何こいつ言ってんだと思ったのだろうが。」

言葉の外を研究する、天体観測、虫取り、社会の外とつながること。

社会の外に突き抜けるような人が、社会の中に創造しようもないものを突きつける、これがアーティストたる所以であり、社会の中のポジション取りに右往左往するような人間にアートをやる資格はない。

人を傷つけることがアートである。

ーーーー宮台氏語録終わりーーーーーー

なかなか面白いよね。

で今回の本文は、昔のブログにマインドフルネスをまとめていたのでそれはほぼ転載。

読んだ本は「サーチ・インサイド・ユアセルフ/チャディー・メン・タン」とダニエル・ゴールマンはEQの本かな。

googleはインターネット上にあるすべての情報を検索し私たちに知らせてくれますが、 そんなgoogleが次の検索場所として選んだのが自分自身の内部、Search Inside Yourself(SIY)でした。

SIYとは、Google社内で10人に1人が実践するといわれるマインドフルネス(瞑想)をベースにした情動的機能を高める研修プログラムで、現在ではアップル、LinkedIn、アメリカンエクスプレスなどの他の組織、企業にも導入されているのだそう。

マインドフルネスとはグルジェフが言う自己想起と同じ

マインドフルネスとは「特定のやり方で、意図的に、この瞬間に何ら判断を加えることなく注意を向けること」とジョン・カバット・ジンは定義し、 ティク・ナット・ハンは「自分の意識を今の現実に敏感に保つこと」と定義しています。

つまり私たちは、花火を見たら綺麗だと思い、ケーキを見たら食べたくなり、旦那は私の気持ちに気づかない冷徹な人間だと断定的に決めつけています。

この判断、自分の価値基準を脇に置き、もう一度注意してみようということです。

花火なら、一筋の光が宙に浮き上がっていき、爆音とともに、円状に無数に分裂し落ちていくもの。

これを私たちは何の判断もなく綺麗だと思いますが、原始人が見たら地球の終わりだと思い、祈りを始め、またある者は気絶し、槍をもつ者さえいるでしょう。

このように私たちは全てのモノゴトを簡易処理するためにレッテルを貼っていますが、そのレッテル剥いでみる。

すると新しい見方が自然と現れるのです。

なんで花火って、上に真っ直ぐ登っていくの?なんで上空で爆発するの?そもそも花火って何?どうやって作るの?火薬って何なの、成分は?

神秘思想家のグルジェフが言う自己想起ですね。

マインドフルネスが鍛える3つの力

マインドフルネスは私たちを人間たらしめる脳の部位である前頭前野の活動を盛んにします。

この部位は、判断、決定、計画、識別などの高次の思考を司りますが、これらの高次機能の中の注意力にマインドフルネスは焦点を当てています。

注意とメタ注意力の向上

注意とは、何かに意識を向けること。

メタ注意とは高次の注意力という意味で、注意自体に注意を払う能力のことを表します。

例えば友人の話しを聞こうと注意しても、2分後には「今晩のおかずはどうしよう」と友人の話から注意が外れます。

このときに「友人の話に注意してない、おかずのこと考えてたな」と気づく能力がメタ注意で、これがあれば私たちはまた友人の話しに注意を向け直します。

このように頭に中が今晩のおかずに支配された状態を、客観的に、第3者の視点で認識し、自制を可能にするメタ注意力の向上は、正確な自己査定、自己客観性、EQ、情動的能力の基礎となります。

感情に振り回されない自己客観性の獲得

自己客観性とは、いつも自分を他人のように見れることです。

男性が女性と話すのが苦手で汗たらたら心臓バクバクに同化して固まるのではなく、 「あっ、今、心臓がバクバクしている。とりあえず落ち着くために深呼吸してみよう。彼女は35億人の女性の1人なんだから、こんなに緊張することないな」という他人目線な声を自分にかけれること。

このように気持ち・情動に同化するのではなく、その情動に満ちた状態でどう反応するのかを選ぶことができるのが自己客観性で、これには評価や判断とは無縁の注意力が求められます。

ヴィクトール・フランクルの言葉では、 「刺激と反応のあいだにはスペースがある。そのスペースの中には、反応を選択する私たちの自由と力がある。そしてその選択の中に、私たちの成長と幸福がある」 となります。

心の知能指数、EQの向上

EQとは「自分自身と他人の気持ちや情動をモニターし、見分け、その情報を使って自分の思考や行動を導く能力」と定義されています。

注意、メタ注意力が向上すると、情動を監視する能力が高まり、EQの向上につながります。

ダニエル・ゴールマンはEQをさらに5つの領域に分けました。

①自己認識ー自分の内面の状態、好み、資質、直感を知ること

②自己統制ー自分の内面の状態、衝動、資質を管理すること

③モチベーションー目標達成をもたらしたり助けたりする情動的な傾向

④共感ー他人の気持ち、欲求、関心を認識すること

⑤社会的技能ー他人から望ましい反応を引き出すのに熟達していること

EQがもたらすものとして優れた職務遂行能力があるそう。

様々な研究により、優秀さの要因として純粋な知性や専門知識より、情動面での能力のほうが重要とされており、ポジティブ心理学の父マーティン・セリグマンによると、 楽観的な保険のセールスマンは悲観的な保険業者よりも、1年目で8%、2年目で31%売上が多かったそうです。

また卓越したリーダーになれる人は、自分を愛せる、許せる割合が大きいと思います。

自分の中に決断が遅い、優柔不断がいけないという認識がありその性格が嫌いなら、他人に優柔不断を見つけると攻撃したくなりますよね。

人を愛し多くの面を認められれば、人はそれを返してくれる。

卓越したリーダーを際立たせる能力の80%以上が情動面での能力が占めるという研究もあるそうです。

そしてEQ、情動をうまく扱う能力は、私たち自分自身の持続可能な幸せのお膳立てもしてくれますね。

「私と全く同じ」と「愛情に満ちた優しさ」の瞑想方法

①楽にして座る。まっすぐな姿勢で背筋を伸ばして座るのが理想的。

②目を閉じて、ゆっくり深呼吸を数回行う。頭、目、耳、口、顎と上から順番に足先まで、身体に意識を向けリラックスさせていくのもOK。

③集中した注意に移る。注意は呼吸でも、誰かと手を繋いで幸せな場面や職場の和やかな雰囲気でも良い。

④しばらくすると注意がそれたことに気づくので、再び最初の注意に引き戻し続ける。

SIYに「私と全く同じ」と「愛情に満ちた優しさ」の瞑想がありましたので引用。

準備

リラックスしていて、しかもスキのない状態になれるような、楽な姿勢で座ります。

まず、2分かけて心を呼吸の上に落ち着かせてください。

あなたにとって大切な人を思い浮かべましょう。その人の姿を思い描きます。

お望みなら、その人の写真やビデオを使っても構いません。

今度は、以下の台本をゆっくり自分に読み聞かせましょう。文が終わるごとに間を置いて、反芻して下さい。

「私と全く同じ」

この人は私と全く同じで、心と体を持っている。

この人は私と全く同じで、気持ちや情動、考えを持っている。

この人は私と全く同じで 、これまでの人生で、悲しかったり、がっかりしたり、怒ったり、傷ついたり、うろたえたりしたことがある。

この人は私と全く同じで、これまでの人生で、身体的な痛みや苦しみも、情動的な痛みや苦しみも経験してきた。

この人は私と全く同じで、痛みと苦しみから解放されたいと願っている。

この人は私と全く同じで、健康で人に愛され、充実した人間関係を持ちたいと願っている。

この人は私と全く同じで、幸せになりたいと願っている。

それでは、何か願いが湧き起こるのに任せましょう。

「愛情に満ちた優しさ」

この人が人生の様々な困難を乗り切れるような、強さや資質、情動的支援、社会的支援を得られますように。

この人が痛みや苦しみから解放されますように。

この人が幸せになりますように。

この人は私と全く同じで、人類の一員だから。

そして私の知っている人が皆幸せになりますように。

結び

1分間心を休めておしまいにしましょう

それでは終了です。チャオ。