先週徳島県の剣山に登ったばっかりだったのですが、大阪に行く用事があったのでついでにパワースポット巡りということで奈良の天河大弁財天社まで行ってきました。
天河神社では2018年の7月16~22日は御造営30年記念大祭ということで、ちょうど本殿昇殿参拝が行われていました。
目次
呼ばれないと行けない、天河弁財天神社を知ったきっかけ
天河神社をネットで調べると、「呼ばれないと行けない」だとか「UFOが見れる」など書かれています。
漫画家・美内すずえさんの「宇宙神霊記」
「呼ばれないと行けない」ということで、どのように私が天河神社を知ったかというと、ガラスの仮面などで知られる漫画家・美内すずえさんの「宇宙神霊記」に以下のような記載があったからです。
私の初期の霊的覚醒については、前章で述べてきたとおりです。
が、私を根底から揺さぶるターニングポイントとなったのは。
霊的洗礼!日本の偉大なサイキックパワースポット、天河大弁財天社での霊的洗礼でした。
宇宙と地球とを結ぶ宇宙軸の中心、天河神社(普通、天河大弁財天社は天河神社または天河と呼ばれています)。そして、霊的宇宙ステーションとも呼ばれる天河神社。
多くの超能力者、霊能者、神行者、アーティストなど、開かれた感覚の人たちが世界各地から集まる天河神社。
天河から発せられる不可知なパワーは、人々の精神をリラックスさせ、霊的目覚めに導くとも言われています。
その天河神社での驚異的な目覚め。私は自分の身の上に起きた摩訶不思議な現象に、最初は驚きうろたえ、わけがわからぬままに受けで止めていました。
が、天河に滞在したわずか6日間。その間に、私の目の前に下がっていた薄闇のベールはハラリと落ち、真実という白昼が見えるようになったのです。実に濃密な六日間でした。
私の視線は古代の蘇りを捉え、意識は宇宙へ飛び、魂の躍動を実感し、ようやく開きかかっていたチャクラが天河訪問を機になんと全開したのです。
どうでしょうか、この美内さんの天河神社の激押しぶりは。「日本の偉大なサイキックパワースポット、天河大弁財天社」であります。
スピ系をかじっているのであれば、この文章読んでそのまま天河神社をスルーできる人はいないのではないでしょうか。
そうゆうことで、わたしは今回大阪の用事のついでに奈良まで足を運んできました。
ヒーリングミュージックの宮下富実夫さんの「天使のいやし」
宮下富実夫さんの「天使のいやし」は天河神社に行った後に読んだのですが、ここにも天河神社について話題が多かったで追記してみます。
まず宮下さんはヒーリングミュージジャンで、全国各地でコンサートを行い、その中には伊勢神宮、橿原神宮、そしてもちろん天河大弁財天社での奉納演奏も含まれています。
まずは高野山に出家し、修行されている池田さんより
「高野山にあとは、空海がいちばん大切な修行の場とした聖地、天河神社にも行くといいな」と言って私の顔を見た。
そして宮下さん一行を高野山まで迎えに来た、天河に住む中谷さんによると、
「空海は天河に行場をつくりたかったんですわ。
だけど天河にはすでに弁天さまがおられるため、中庵住(なかいずみ)に庵を建てたんですわ。そこが篭山(こもりやま)ですわ。そして山々を神業したんでしょうな。
天河から南に下ること1日、さらに西へ歩くこと1日。大堂村を通り、野迫川村を抜けて、山道を歩いていたんですな。
そこへ白と黒の犬が現れ、高野山に案内したんですわ。だけど高野山には、すでに荒神さんがおられたんですな。」
「荒神さん?」と私がいうと、中谷さんは、
「火の神様でしょうな。空海さんは、そう簡単には高野山に入れてもらえなかったんでしょうな。
神様の世界にも先住権がありますからな。何回も通ったそうですわ。そして立里(たてり)に移ってもらったんですわ。そこが立里の荒神さんですな」などと、天河と空海の関係を話してくれた。
さらに次は宮司さんの話しです。
天河は、高野・吉熊・野熊というヤマト三大霊場を結んだ三角形の中心部に位置しています。
背後に控える大峰山系は、七世紀初めに役小角という方によって開かれた修行の場で、熊野から吉野まで七十五の霊場が定められています。
これを大嶺七十五靡き(なびき)と呼び、五十音に二十五の濁音を加え七十五の音霊ができあがりました。
そうしたなかで、玉置山から弥山(みせん)までが胎蔵界、すなわち胎児の世界で、弥山から山上ヶ岳を金剛界として、人間世界に生まれ出てから死ぬまでを表し、標高1895メートルの主峰、五十四番目の霊場弥山が人間のちょうど誕生の位置にあたるわけです。
その弥山山頂には天河神社奥の院があり、そこで役小角が日輪弁財天の女神を感応し遭遇なされたのです。
つまり、天河神社は人生の原点とも言うべき誕生の位置に納まって建立されているわけです」
またそのほかにも、
●神武天皇が天河神社で、ヒノモトという言霊をたまわったという伝説があり、日本という国名はこの地で生まれたとされている
●神殿の下には、神武天皇が祈られた磐座があり、神殿の建立については、壬生の乱での戦勝祈願の功により、天武天皇によって造営されたと伝えられている
●7世紀初め、役小角が大峰山に七十五靡きの修行場を開き、山上ヶ岳で国家鎮護を祈念した。そのときまず弁財天が出現したが、女神であったため弥山に奉り、次に出現した蔵王権現を山上ヶ岳の御神体として奉った。天河神社の奥の院として、弥山山頂に弁財天が祀られている。
●高野山金剛峯寺開山の三年前に、空海(弘法大師)が天河神社を拠点として大峰修行をしている
だそうです。四国霊場を開創した空海や修験道の開祖とされる役小角までもが登場するので、天河神社はタダ者ではない雰囲気を醸してきますね。
また宮司さんによると天河の裏は長野の飯綱・戸隠だそうです。
天河神社に行ってご縁を感じたら、長野の戸隠神社に行ってみるのもいいかもしれませんね。
天河神社
天河神社の鳥居です。
天河神社の主祭神は、芸能の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
天河神社の御祭神は、芸能の神として知られる市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)です。
芸事の上達のご利益があるとされるので、芸能人の参拝も多いそうです。
元の祭神名は弁財天で、神仏分離により市杵島姫命と称するようになり、広島県厳島神社や滋賀県竹生島と並ぶ、三大弁財天のひとつだそうです。
ここでまたヒーリングミュージシャンの宮下富実夫さんに登場してもらいます。
彼の著書「天使のいやし」のなかに、1991年、突如、面識もないイギリス人の女性から手紙とカエリタという人物の顔を描いた絵が送られてきたそうです。
その女性は、「いきなり宇宙から送られてくるエネルギーを受けて、手が勝手に動いて描かされた」と手紙に書き、住所もこの絵の女性・カエリタから聞いたそうです。
そして「絵に描かれている自分の眼を見て瞑想するように」とのことです。
私はこの写真を見ていたら、これはハトホルではないかと思いはじめました。
どうでしょう、似ていないですか?
ハトホルはイシス、日本では七面観音、弁財天と同一視される神様です。
つまりイギリス人の女性は、天河神社の祭神である弁財天の似顔絵を宮下さんに送ったことになります。
宮下さんは天河神社で楽曲を奉納されるなど、とても弁財天と縁が深かったのではないでしょうか。
年に1度、7月16日から17日に公開される本殿の弁財天像
本殿に祀られている弁財天像などは通常非公開のようです。ウィキより引用すると、
本殿に祀られている弁財天像は通常非公開で、毎年7月16日から17日にかけて執り行われる例大祭においてのみ開帳され、各種祝詞・般若心経や神楽とともに、能楽やアーティストの演奏などが奉納される。
本殿右扉の中に安置されている日輪弁才天像は、60年に1度にのみ開帳とされている。なお、2008年(平成20年)には、時勢の悪化を憂慮し、また本殿改築20年を記念して、60年を経ずして日輪弁才天の開帳が行われた。
とあります。
そして今回30周年記念ということで、また日輪弁才天像も公開されました。
こちらはもらった御札です。
ただ正直な感想としては、像を見せてもらって拝ませて頂くよりは、ご祈祷を受けたほうが良かったような気がします。祭りなので人も多かったですし。
写真などはNGなので撮れておりません。そしてもう私の記憶からもどんな像だったか消え去っております。
弁財天が使った神器「五十鈴(いすず)」とオリオン
五十鈴の説明を天河神社HPより。
五十鈴(いすず)は、天河大辨財天に古来より伝わる独自の神器で、天照大御神が天岩屋戸にこもられたとき、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が、ちまきの矛(神代鈴をつけた矛)をもって、岩屋戸の前にて舞を舞われ、神の御神力と御稜威をこい願われたことによって、岩屋戸が開かれ、天地とともに明るく照りかがやいたという伝承に登場する、天宇受売命が使用した神代鈴と同様のものであると伝えられています。
特に芸能の世界にいあっては天宇受売命にあやかって、殊の外御精進あそばされる方々(俳優、舞踊、歌手、ラジオ、テレビタレントなど)は、同床共殿のあり方と精神にてこれを奉載され、この三魂(みむすび)の調和統一に意を用いられ、芸能技芸練達の器教とされますことを切に祈るものであります。
お参りのところにある五十鈴は、2つ重ねてあるので丸い玉が6つみえます。
名前は五十鈴とありますが、この写真からはオリオンの三ツ星がパッと浮かびますね。
宗像三女神は田心姫神(タゴリヒメ)、湍津姫神(タギツヒメ)、市杵島姫神(イチキシマヒメ)で、天河神社のご祭神は市杵島姫神ですからね。
また初代天皇神武天皇の皇后に五十鈴媛命という神がいますが、このイスズヒメの父はコトシロヌシまたはオオモノヌシなので、スサノオのオリオン系となります。
天河神社に参拝した感想
んーーー、正直よくわかりませんでした。
前回いった剣山ではバッタやミノムシを見つけて「呼ばれた感」がありましたが、今回はそれはなし。
そして今回の旅の本目的である、翌日に行ったむつう整体のセミナーが凄すぎたので、こちらの印象、実感がさらにわかりません。
むつう整体のセミナーでは、最後まで残っていて首、右胸の引っかかり・緊張が取れました。
ここに緊張があるせいで瞑想を行っても身体に意識が向かってしまい、深く瞑想に集中できてませんでした。
これが解消したので今後の瞑想、パスワークでいい報告ができるのではないかと。
次の記事でむつう整体のこと、わたしの身体的変化を書いてみたいと思います。
あと奥の院が弥山山頂にあります。
ちょっと調べたら結構な登山になりそうなので今回は諦めましたが、時間がある方は行かれてみてはいかがでしょうか。
天河神社へのアクセス方法
公共機関で行かれる場合、近鉄吉野線「下市口駅」から奈良交通の路線バスがあります。
「下市口駅」から奈良交通の路線バス「中庵住行」に乗車し約1時間、「天河神社前」下車すぐです。
しかしバスの本数はかなり少ないです。
この写真は、大祭期間中の臨時便、土日のみの便も乗ってますので、行かれる前はくれぐれもご自身でお調べください。
下の写真はバスに乗ってもらった記念の勾玉ストラップです。
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