是枝裕和監督の「万引き家族」を見ました。
映画とかあんまり見ない、特に邦画は見ないのでこんな重い映画は初めて。とかいいつつ昨日は「千と千尋の神隠し」を見たので、それはnoteにオマージュ?をアップ。
あんまり感情移入するとクジャクジャになりそうだったのでテキトーに見てもね、直視はできない映画である。
まずあの家族、って家族じゃないですが、あの家族の距離が近すぎる。
なのに遠いのです(謎)。
まあ見てない人は、見た方がいいのではないか。
たぶん重くなる。
で私は映画を見終わった結果やっぱニート最高、雲の上に住むかってなった。
こういうとき感情を歌で表現した方が手っ取り早く、思い浮かんだのが「メロディー/玉置浩二」
(動画が削除されてる、また探す気もなし)
ただこれ歌詞見てもどうもパッとこない。てかあんな複雑な映画を歌で表現は無理だな。
で、この歌で共感できる歌詞の一文は以下か。
「メロディーいつのまに 大切なものなくした」
私そんなに悪い人ではないと思うんですが、いや仲間と思ってない人には超愛想ないと思いますが、だって太陽蟹座は地元の仲間大切ヤンキーじゃないですか、敵は排除ですけど。
でそれが12ハウスなので、めちゃくちゃ尽くします。大学バイト時とかタピオカ屋時代は人が半端なく寄ってきた。
でも現状友だちいないニート。
その原因はズバリ自分から連絡しない。
友達が100回むこうから連絡してきても、こっちから1度も連絡をしない。
「メロディーいつのまに 大切なものなくした」でございます。
まあスタピ目指す、後世の地球や人類に貢献してる体裁で現世の人間関係を切ってると思って過ごしております。
この性癖は変わらないであろう。
そのごーー、チャリ乗ってたらピッタリの歌が思いついた、「東京の空/坂口 恭平」。
躁鬱の、元新政府初代内閣総理大臣の坂口恭平氏なら余裕で万引き家族飲み込みますね。
「東京の空は今日もただ青かった 東京の空は今日もたた青かった 東京の空の下は男と女 東京の空の下は男と女(とニートの宇宙人)」
ということで今回は、2017年9月29日金曜日11時55分頃三輪山の山頂、奥津磐座のお参りするところで小さな蛇がちょうど脱皮しているのを8人ぐらいで見ました、という昔のブログのほぼ転載です。
目次
三輪山の神様、大物主大神の姿は小さな蛇
崇神(すじん)天皇の御代に神意を伝える巫女として天皇のまつりごとを助けた倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)という方がおられました。
この姫が大物主大神(おおものぬしのおおかみ)の妻となられるのですが、大神は夜にしか姫のもとを訪れません。姫は貴方様の顔をはっきり見たいと大神に願い出られます。
もっともな事と、姫の申し出を聞き届けた大神は、姫の櫛を入れた箱の中にいるが、箱を開けても決して驚いてはならぬと念を押しました。不審に思いながらも明朝に姫が箱を開けると、そこに小蛇が入っており、驚きのあまり姫は悲鳴を上げてしまいます。
大神は蛇からたちまちに麗しい男性に姿を変え、約束を破ったことを責め、二度と姫とは会えぬと大空を翔けて三輪山に帰ってしまわれました。そして後悔した姫は箸で女陰を突いて命を落としてしまわれました。
このことから百襲姫 の墓は箸の御墓と呼ばれました。三輪山の麓にある箸墓にまつわる、この悲しいお話が『日本書紀』に記されています。
大神神社HPより
このように三輪山の神様・大物主大神は蛇に姿をお変えになるそうです。
よってお供え物に蛇の好きな卵がいっぱい。
そして三輪山の山頂、奥津磐座のお参りするところで小さな脱皮中の蛇を目撃。
幸運すぎる気が、まさに山頂で神様を見たことになりますよね。
「またまたお前、自分が何かご利益がある男に思われたいのか?」とか思われそうですが、これがまた本当だからしょうがない。
証拠の写真が取れたらいいのですが、三輪山は神聖な場所なので、写真を撮ることは禁止、水以外も飲食もしてはいけない神聖な場所。
証拠があるとすれば、この日わたしと同じ時間2017年9月29日11時55分、山頂にいた8人ぐらいの人のみです。
この人たちはいつまでも自分は三輪山の山頂で、小さな蛇が脱皮していたとこを見たと、きっと一生言い張るでしょう。
朝9時から大神神社で祈祷を受ける
この日は朝9時から大神神社で祈祷を受けさせもらいました。
写真はご神符と紅水晶の首飾り。
祈願したのは商売繁盛です。
今まで神社に行っても「家族が健康でありますようにだとか、世の中がよくなりますに」とか祈ってましたが、最近は「年収3000万になって、世界中を旅できますように」に変わりました。
で、三輪山に登ったときに祈っていたのも年収3000万です。
そして神様が出てきていらっしゃたということは、それを受付しましたと思っていいのかな?
ただ私は昔から商売をしてましたが、そのときは「俺のチカラ、アイデアで稼いでやる」と思ってました。
でも今はそんなことはこれっぽっちも思っていなく、お金は流れをよくすることが大切だと思っています。
商売をしてお金を頂けるのは相手を値段以上に喜ばせることができたから、その喜んでもらえる人が多ければお金も自然と回ってくる。
人の気持ちに寄り添うことができる人であり、それをシステム化、ネットでシステムを構築するとそれが万人に届きますので、そういう人がお金に縁があるのではないでしょうか。
そして自分もこの人、商品の価値があると思えば、喜んでお金を払って会いにいく、つながる、応援する。
人を喜ばせることを考えていたら、なんとなくお金に困ることはなさそうだし、いい世の中になっていく気がしています。
いざ三輪山の山頂へ
そして祈祷を受けたあとネックレス買って、山登りに狭井神社へ。
狭井神社には御神水があるので汲んで山に持って行きました。
で山登りの受付があるのですが、山は神聖な場所なので飲食不可、写真撮影NGなどの説明がグループで行われます。
それまで少し待ってないといけないのですが、その時に裸足で山に登ろうとしている人を発見しました。
そしてそれを見た瞬間に私も裸足で山に登ることを決意。
少し不安なので靴は下に置いていくのではなく、リュックに入れて登りましたが。
アーシングという言葉があって、現代人類は土に触れていない、移動も靴を履いてコンクリの上、だから土に触れるだけで電磁波が抜けて健康になる、足の裏には湧泉という大きなツボがあるので、裸足登山を後押しした感じです。
裸足で登ったら、全身の気が三輪山色になるかもと考えました。
ちなみに私に裸足登山を決意させた人も私が蛇を見つけた時、山頂で瞑想中だったので一緒に蛇をご覧になりました。
人がいないときに合掌しながら登る変な人
それと登山中、わたしは周りに人がいないときをみはからって、手はおへそぐらいの位置ではありますが合掌しながら登山しました。
合掌40分行という、合掌するだけで癒しの手・気功ができる手になるというものがあり、実際やると体ポカポカ、手がジンジンなのです。
なので登山しながら合掌、足の裏からは三輪山のパワー吸収で、手はかなり熱くなりました。
裸足の登山ですが、寒い冬でなければぜんぜん裸足でokだと思いました。人が毎日歩いているので道はちゃんと出きていますし、足の裏の皮膚はほかの部分より厚いです。
三輪山山頂で幸運のミツバチと蛇
登山は50分ぐらいで登りまずお賽銭を入れお参りしました。
そして私も瞑想をする人、昨日は奈良にヒプノセラピーを受けに来た人ですから山頂で瞑想みたいに目をつぶっていたりして時間を少しとりました。
さあもう気がすんだので下山しようと思い、最後にもう一度お賽銭のところで手を合わせて目をつぶります。
しかし耳元でブーンという虫が飛ぶ音が聞こえるので目を開けます。
刺されたくないですから。
どこに虫がいるか探してもなかなか見つからず、見上げる位置2mぐらいのところにミツバチがいました。
そしてまたお参りするのですが、音が近ずいた気がするので目を開けていちおう確認。
これを何回かしてた気がします。
するとお賽銭箱の左の石のところに小さな蛇を発見したのです。
いま考えてもよく蛇を見つけたなと思うし、ハチのブーンという音がしなかったら目をつぶったままお参りして蛇を見つけていないと思うので不思議です。
見えない世界を信じることが旅のテーマ
今回ヒプノセラピーを受けて思ったことは自分を信じること、思考は現実化するということをもっとちゃんと認識することだと思いました。
それを私はまだ本気で信じていない。
気功があると思えばあるしないと思えばない、それは信じるか信じないかの差だけ。
むつう整体という道具を持つだけで生命力が活性化する、首にかけるだけで背骨を調節し健康になるというものがあります。
これがわかっているのに、本当にペンダントをつけるだけで骨が整っていくのを自分で経験しているのに、まだ思考・思い・波動・見えないもののパワーを信じていない。
タロット占いをやっているのに、まだ私たちを信じていない。
もうしゃーない。
いっちょ山の上で蛇でも見せたろか。
これで信じるやろ、神様や目に見えないパワーのこと。
「占いや気功などの見えない世界をやっていながらまだ信じきっていない。それを信じなさい。」というのが、この旅のテーマだったのかもしれません。
見えない世界・神様を信じる人は幸福度が高い
昨日は三輪山の宿に泊まって、そこにあった本「成功している人は、なぜ神社に行くのか?」をパラパラと読みました。
神社に参る人が参拝しない人より幸せ度が高い、年収も高いとありました。
幸せ度が高いのは自分じゃどうしようもないことが世の中にはある、自分ひとりのチカラじゃどうにもならないこともある、自分ではない何かのチカラ、運命だったり、神様だったり、地震などの天災などの周りのチカラを受け入れているからではないでしょうか。
神様にお参りをあまりしない人は自分のミスは自分のせい、他人のミスは他人のせい、だからあいつは悪い、今回俺はミスった、どーしようもないやつと思うかもしれません。
しかし神様を身近に感じている人はあの人が私に嫌なことをするのはもしかして、あいつの神様が仕向けたかも、たがらまあ許してやるか。
もしかしたら俺の神様が私を修行させるために、わざわざ俺を怒らせる人を使わしたのではないのか?もしそうなら、こいつは私に何の修行を積ませたいのか?と視点を変えれるかもしれません。
ただ単にその人がクレイジーなだけでないかもしれないけど。
あと宿の朝の食事が和食の小鉢10品ぐらいあって、心を込めて作った食事に感動しました。
最近朝は野菜ジュースのみ、食事内容にあまり興味がないし一人暮らし、テレビかパソコン見ながら食べる。
それが今回の宿ではホテルのパンとコーヒーみたいなビュッフェではなく、ザ和食でテレビもなしでいただきました。
心のこもった食事をちゃんと味わいながら食べる。
こんな小さなことを積み重ねながら生活できたら幸せですね。
以上です。実家に帰ったり、そこから海外旅行行くので次回の更新はたいぶ先になるかもです。
それではチャオ。
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